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大阪家庭裁判所 昭和52年(少)3094号 決定 1977年5月26日

少年 M・K子(昭三八・六・一〇生)

主文

少年に対し強制措置を採ることは、これを許可しない。

理由

(少年に対する本件送致事実の要旨)

少年は昭和五二年一月二〇日に少年法三条一項三号イ、ロ、ハ、ニに該当するとの理由で教護院(大阪府立修徳学院)に入院措置がとられたが、同年一月二二日、一月二四日、二月四日にそれぞれ無断外出し、ことに同年二月二八日から三月二七日までの間は少年の所在が全く不明であつたため措置停止の措置がとられ、三月二七日に所在不明のまま措置解除の手続がとられたものであつて、その無断外出中に暴力団関係の喫茶店・スナック等で就労し、又この間に左腕には一〇cm程の花の絵と大吉という文字、左薬指には指輪状の入れ墨をし、同年四月一七日に帰宅するも三日後には再び家出をし四月二八日に帰宅するなどの行為が続いたため保護者としても家庭での監護は困難と判断し、収容保護の申請をしているものであるが、現在の状況では無断外出の虞れが多分にあつて、今までのような開放された施設への収容は困難と考えられるので、強制措置をとりうる国立きぬ川学院へ入院させることが相当と判断し、本件送致に及ぶ。

(当裁判所の判断)

ところで本件記録、少年調査記録、鑑別結果通知書及び審判の結果によれば、少年につき上記送致事由記載の虞犯事実の存在することを認めることができ、右事実からすれば、少年に対し一定期間(申請は独居室四週間、雑居室六ヶ月以内)の強制措置をとることを許可して国立きぬ川学院に入院させることもあながち不当な措置であるとも思われない。

しかしながら少年はまだ一四歳に満たない中学二年生であり、問題行動を起すようになつたのは中学に入学してからであつて、それまでは問題行動を起していないこと、過去数回にわたる家出も必ずしも短期間とはいえないものもあるが、その場合でも家出中に保護者に連絡をとつているなど保護者との断絶関係はなく(むしろ母親に対する甘えが強い。)かえつて現在すぐに強制措置をとられることを全く予期せずに相談所や裁判所へ出頭した(鑑別所に収容されたこと自体少年の全く予想していなかつたことであり、母に裏切られたという意識を持つている。)ことと少年の性格とを考え合わせると、少年自身の意欲の伴わない教護になつたり、家庭に戻つた際の保護者との関係に断絶を生じたりする恐れがあること、少年が問題行動を起すようになつた大きな原因は、父は厳しい人ではあるが船員という職業のため家をあけていることが多く、母は一方で多干渉であるとともに他方で甘やかし、少年の養育に一貫性がなかつたため欲求不満耐性が培われてこなかつた点にあると思われるが、今回鑑別所に二〇日間余にわたつて収容されたことによつて自己の行動の行き過ぎに気がつき反省していることがうかがわれること、収容保護を効果あらしめるためには保護者の理解と協力が必要であると思われるところ、母の態度が流動的であるうえ、(審判の段階では強制措置をとることにためらいが生じている。)父が不在中であることなどの諸事情を総合して判断すると、現段階において直ちに少年を国立きぬ川学院に強制入院せしめるよりは、少年の鑑別所への入所を転機として、児童相談所の協力を得て保護者の少年に対する粘り強い教育を期待するのが少年の健全育成を期するうえにおいて最も妥当であると思料する。

よつて主文のとおり決定する。

(裁判官 高田健一)

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